2011年6月10日金曜日

日本へ

6月日本に戻ったものの、ここは放置気味でありました。Windowsも調子が悪く、パソコンも調子が悪く、忙しく、と言い訳に事欠かないものの、とりあえず気が向いたところから書いていくことに。

DSCF5981

およそ15年ぶりのAir China、北京経由での旅。特に空港の印象が悪く、当分は北京経由は避けようと思ったり。

理由1) 無駄に広い。広いなりにうまく使えばそんなに不便ではないはずなのに、搭乗口の割り当てやらなにやら、かなり歩く羽目に。しかも案内板は時として意味不明。動く歩道やミニトレインといったターミナル間の移動があまり機能的・論理的ではない。広くても使いやすい空港は山ほどある。


理由2) ショップやレストランが極端に少ない。結局のところ同じ系列が同じようなショップを出していて、選べるアイテム数が少ない。往復で2回行っただけで全てのレストランを制覇出来るようでは先がないって感じ。期待していた中華料理もまともなところはなく・・・。

 

理由3) 空港職員のレベルが低い。まぁこれは結構書いている人がいるんだろうけど、愛想以前に英語が通じない場合がある。掃除のおじちゃんが使えないのは別にいいとして、セキュリティチェックの係員がまったくダメなのには参りました。かといって英語のできる職員を呼ぶわけでもなく。とにかくしゃべれないならボードを作って説明するなり何なりすればいいのに、通じないのにやりたいようにやろうとして反感を買うだけ。

特に今回はトランジットで7時間あったので、空港でやることがないのには参りました。おかげで持っていた本を思ったより読み進めて良かったり。値段的に同じレベルなら次はタイやマレーシア、韓国経由にしようと心に決めたり。

[作成:2011.07.19]

2011年5月23日月曜日

虫歯

朝早くに起きて猫の抜歯のために獣医さんのところへ。麻酔やら何やらやるので、5時間後に回収。

DSCF5899

昨日の夜から何も食べてなかったからかとりあえずエサにがっつくので一安心。ただ動きは非常にトロめであります。

2011年5月17日火曜日

遠足

何かを書く余裕が無い日々が続いていたものの、久々にちょっと余裕回復。16日にクラスの遠足でStora Amundö に。

DSCF5873

天気は雨こそ降らなかったものの、風が強くかなりシビアでありました。

DSCF5843

島の入り口の管理棟には小鳥が住み着いていて、せっせと巣作り。

DSCF5849

暴れ馬なのか人なつっこいのかよく分からないけどとりあえず駆け寄ってきて、えっへんとポーズを決めて去って行きました。要するに放し飼いであります。やはり今のカメラは動く被写体にピントを合わせるのは、フォーカスが遅すぎて不可能。新しいカメラを考えてしまう1枚。馬はともかくほとんど動かない人間も結構厳しいです。

DSCF5857

森の中は既に春、暗さ的にはまだ夏では無いという状態。そのまんまです、はい。

DSCF5865

海のそばでもきちんと咲くのは結構すごいというかなんというか。あんまり深く考えたことが無かったけど、完全な外海ではないので塩分が薄いのかもしれません。

DSCF5882

自分にはあまりなじみのない綿草。

DSCF5886

ふきっさらしの中、冷たくなった昼食を食べる気もおこらず、早々と引き返してきました。まぁやっぱりこの手の所は暖かい日じゃないと。

2011年5月3日火曜日

三寒四温

5月です。春です。雪です。と絶句した1日。夏のように暖かい日々が終了。

DSCF5827

2011年4月22日金曜日

Påsk

Påsk、イースター、復活祭、日本で意識することはあんまりないんだけど、一応こっちでは毎年ちょこっとお休みになるので、ありがたい休みの一つ。休む口実は必要であります。自分的には卵をたくさん食べる以外何の意味があるのか今ひとつ分かっていなかったり。統計的に見て日常への宗教への依存度がとことん低いスウェーデンでは、教会にでも行かない限りバレンタインデーとさほど変わりのない宣伝用の口実だったりします。

DSCF5805

休暇に入った直後に相方の実家に顔を出しました。家に猫がいるので1泊2日の少しハードめのスケジュール。この白い花は、木の葉が生い茂る前の春の一瞬だけ花を咲かせます。要は森の中に生えてるけど日光が必要という話。

DSCF5820

この青い花を咲かせる植物は生命力がかなり強いらしく、2-3株を数年前に植えたところあっという間に広がったらしいのであります。当然隣の家にも浸食しているものの、文明の機器とも言うべき芝刈り機の前にはどうすることも出来ず、毎年刈り取られる運命にあるとのこと。

非常に天気が良く、夏を思わせる風。スウェーデンに来て以来必ずと言っていいほど毎年雪があったので、少し驚きでありました。

[5/16作成]

2011年4月4日月曜日

統一地方選挙と自治

そういえば春の選挙のお知らせが大使館から届かず、う~んと考えていたら、地方選挙に関しては投票が出来ないとのこと。考えてみれば自治体に関しては住民が投票の主体になるのは当然と言えば当然。ただ、外国籍の住民に対して投票権を認めないのは、その意味ではおかしい。というのも仮に自治体の選挙もことさらに日本人であることを強制するならば、海外での投票も認められて然るべきであるし、住民であることと自治との関係を強調するならば、外国籍を持つ人が自治の主体たる住民失格という論理は差別以外の何ものでもない。義務はあれども権利無し、責任あれども自由無しetc...

ともあれ、先日オーストラリア人の友人と話をしたときにやはり二重国籍の話に。彼の相方はウズベキスタン人で、二重国籍を認めないウズベクの法律のせいでオーストラリア国籍を取りかねているとのこと。国籍の選択という強制がいかに人の自由や選択を奪っているか、改めて考えさせられます。帰化を含めた国籍の「選択」は、母国でのビザ取得の必要が出てくることや労働する余地が少なくなるなど、様々な不利益を伴います。不利益を矮小化してことさらに国民を強調するなら、人が国家の所有物か、主権は国家にあるのか、という民主主義以前の議論を行わなければなりません。民主的に決められた法律だから民主主義だ、とすればどこかのエリート主義に裏打ちされた独裁国家の例を出すには困らないほど、かなり適当な正当化であります。一つの国に帰属することを強制することは市民的自由を尊重する気がないことの裏返しでもあります。

自治、自分(達)のことは自分で考え決定し実行する。けれども日本においても「我々」と「彼ら」の間に線引きを行う段階から既に他者の排除が始まっています。一般論において個別具体的な事案を説明することは、結構困難で不合理なことも多々あります。ことさらに日本の独自の文化を強調する輩もいますが、そもそも文化が永続的なもの(であるべき)でありかつ民族内部でしか共有出来ないものという、およそ現実離れしたアイディアを尊重しろというのは、自分には無理です。文化であるが故に批判を受けるべきではないという考えも、批判なしに文化が発展するという楽観的なものであり、文化自体が誤っていることを考慮に入れないものであります。ともあれ自治、みんなで渡れば怖くない、というのとは別の話。

2011年3月24日木曜日

楽観主義の果て

原発事故に関して海外メディアに対する批判が日本の報道で見られるのは、未だに日本のメディア事情、情報に対する受け止める市民の能力が20世紀初頭以来あまり成長していないのでは、と考えさせられる一件であります。震災後を通じて、特に専門的な用語を並べ立てて煙に巻こうとする輩の思惑通り、そしてよく分からない事象を一字一句覚えようとするあまり、ものの本質から随分離れた議論がなされている気がします。

DSCF5741

原子炉や廃棄物のコントロールはおろか、何が生じているのか正確に把握出来ていない状態にも関わらず、「現時点では問題は無い」という説明を繰り返し、挙げ句の果てに数度の爆発と放射能漏れ。必要な情報が根拠のない安心感を与えるものか、それとも合理的な選択を行うための事実ないし可能性を示すものかを問うとすれば、おのずと必要な情報は見えてくるはずであります。にもかかわらず、「パニックを防ぐ」という理由で、可能性に過ぎない情報を排除するならば、状況を把握出来てない現状では、ほとんど事後的な情報しか与えられないことになります。

パニックを防ぐ、という理由は、あるある大辞典の納豆ダイエット騒動のように、あるいは水の買いだめのように、比較的現実的な理由とはなりそうです。仮に問題が情報に対して過剰な反応を起こす市民にあるとしても、情報が限定的にしか与えられていない不安感に起因するのか、それとも客観的に判断する能力が欠けているが故なのか、様々な要素が考えられます。それでも、こうしたパニックを避けるという言説は、情報の受け手の能力の否定であり、バカだから情報を与えないという傲慢な議論。そしてこうした言説自体、現実を直視することを避ける方向にしか働かない故、全てのネガティブ事象が想定外という根拠のない楽観主義に基づいた説明も問題なく受け入れる始末。そんな情報に対して信頼感をもてるというのは、人がいいというか何というか。

間違った記事を寄せ集めて、日本のメディアは素晴らしいと自画自賛する前にやるべきことは山ほどあります。例えば、地元紙GPでも1号機の建屋の天井が吹き飛んだ翌々日朝には平均的な気象状況に基づいたシミュレーションを解説するグラフィックを掲載、どの地域におよそ発生源付近の何%ほどが他の地域に拡散するか、直感的に分かるようになっています。水道、物流といった人的影響は考慮されていないものの、考えられるシナリオの提供の早さにはただ驚かされます。NHK(海外版)が専門家に原子力発電って何?メルトダウンって何?というおバカな質問をしている間に、こっちの一地方紙でさえどの程度深刻な可能性があるのかを書いています。悲観論、センセーショナルと切り捨てる前に、多角的な情報の重要性を認識するべきであります。メディアの役目がただ、役所や企業の発信する情報を垂れ流すだけならば、そういった情報の価値は非常に限定的なものです。ことに情報公開に消極的な風土の強い日本で、メディアの役割は本来もっと持って然るべきで、また求めるべきでもあります。(以下略)