2011年3月10日木曜日

ルイ・ヴィトンの恐怖

ブランド品の多くは知的財産権関連法において保護されていて、コピー商品やら模倣品やらが規制されるのは、それを考案した人が利益を収めるべきという観点から理解出来るところ。一方で、何もかもを権利として認めた場合に経済的にであれ、思想的にであれ保護に伴う弊害もあり、そうした知的財産をどの程度保護すべきであるか、という問題は常に考えるところであります。昨日のDNのルイ・ヴィトンに関するニュースは、そんなことを改めて考えさせられました。

事の発端は、ダルフール問題に関わっているデンマークのアーティスト、Nadia Plesnerが、パリス・ヒルトンをモチーフに、ルイ・ヴィトンっぽいバックを片手に子犬を抱えているダルフールの子供を描き、そのTシャツを販売した。なおその収益は現地へ送る医薬品を始めとする支援物資に充てられた。これに対してルイ・ヴィトンが販売中止と損害賠償を求め提訴、本人の不在時に訴訟が行われたため反論がないまま訴訟自体は終結。その額現時点で20万ユーロ(ざっと2000万円)也。さらに今では弁護士費用その他諸々1日5000ユーロ(50万円)払え、とそういう話であります。当時の自分の弁護士に「絵画にすれば問題ないんじゃん」と言われ早速作成、その後の混沌とした争いが続き現在に至ります。

ルイ・ヴィトンの言い分としては、会社としてダルフール問題を助長する活動を行っているわけではなく、こうした問題と関連づけられることで不利益を被っている、と。Nadia Plesner の作品がルイ・ヴィトンを直接的に批判している訳ではなく、そうした豪華絢爛なライフスタイルがある一方でダルフールの子供達には無縁のニーズであることを暗に示しているに過ぎません。ルイ・ヴィトンの論理は相当な被害妄想を含んでいて、大人のブランドを扱うにしてはちょっとアブナイ会社なのかもしれません。

営利活動と表現活動の区別は実のところさくっと割り切れる訳ではありません。ピカソがその生涯にいくら稼いだかを考えると、収益性がある=アートではない、と単純化することはできません。時に重要なメッセージを含んでおり、またアーティストが職業である限り金銭授受と無縁にはなり得ません。他方で、ブランドを利用することで莫大な収益を上げるとすれば、アートであろうとパロディであろうと、そりゃぁないんじゃないのか、という話になります。

ただ、そもそもブランドそのものを表現内容の一部として利用することが、同意ないし黙示の同意が無い限り扱うことが認められないとすれば、およそブランドに関して批判的な報道を行うことは不可能になります。商標を始めとする知的財産権にそこまでの保護を与えるべきかどうかで言えば、否としかいいようがありません。

現在もNadia Plesner のサイトの削除を要求しているものの、おかげで各地の新聞に無修正で転載されてます。彼女の作品が名誉毀損的な性格を実際に帯びるのであれば、まず影響力のある新聞に対してアクションを起こすべきであって、そんなことをせずにあくまで作者個人を狙ってせっせと圧力をかける姿勢は、某武富士の恫喝訴訟と重なります。結局の所、ルイ・ヴィトンが一連の行動で示しているのは、徹底的な不寛容であり、コミュニケーション不能な姿勢であります。それで一流を名乗るのはちょっとね。

他のブランドだって同じ、という指摘もありそうですが、それはまた別の話。このあたりの活動に理解を示すかどうかは企業により温度差があります。ま、機会があればそのへんも。ともあれ被害者面したルイ・ヴィトンが様々な方面に恐怖心を与えたのは間違いなく、かなり注意深く扱わなければいけない存在となりつつあるのかも。あ、もう書いてしまったけど大丈夫カナ、とおどけてみたり。

(本稿執筆後、ルイ・ヴィトンからのコメント付きの続報あり。油絵の制作・公開は問題ないと態度を変更したものの、Tシャツに関しては相変わらず。制作者が不誠実で話し合いに応じなかったというような話をしてるものの、問題は「話し合い」の中身であります。この記事からみると結局のところ、ルイヴィトンのコメントは個人攻撃に終始して問題を解決する意志はないようであります。)

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