2009年5月4日月曜日

エリトリアについての議論から

自分がエリトリアを訪れたのは1995年、エチオピアとの30年戦争を終え、独立を果たして間もなくのこと。貧しくとも誇り高き人々との交流は今も心にしっかりと刻まれています。ここのところ、スウェーデンではエリトリアに関する報道が多くなってきており、その原因はエリトリア出身のスウェーデン人ジャーナリストがその報道内容が故に拘束され、不当に長期にわたっていることにあります。

Dawit Isaakは1964年エリトリアに生まれ、1987年にスウェーデンに移住、1992年にスウェーデンの市民権(国籍)を取得しました。エリトリアの国籍は放棄していないため、現在までいわゆる二重国籍を有しています。その後エリトリアに渡り、民主改革系紙のジャーナリストとして活動、2001年に逮捕されました。エリトリア政府は、デンマーク政府のためにスパイ活動を行っていたことを理由に拘束しているとのことですが、現在まで裁判手続きは行われておらず、また各種レポートによれば拷問も行われているようです。

Free Dawit Isaak!

スウェーデンの外交官が先月派遣されたものの、エリトリア政府は30年戦争時代に理不尽なエチオピアに西欧諸国が荷担し続けたことを盾にとって話は平行線に。拉致問題を議題に載せると強制連行の問題が出てくる日本と北朝鮮の関係に近いものがあるのかもしれません。日本でも楽観的な人たちは戦後処理が終わったように言いますが、対国家はいざしらず、対個人への処理は全く棚に上げられています。対国家への賠償で全て片づくとするには、個人が国家に帰属するという前提を受け入れなければならず、まぁ憲法改正して国連から脱退した後に議論してくださいという感じ。

エリトリア政府の弁はかなり話がぶっ飛んでいる印象、訴追がないままの長期拘束は文字通り異常です。政治的な活動に関して拘束・訴追されるのは肯定できないけどよくある話。対立する考え方や勢力をなんとか理由をつけて規制して排除しようというのは、やはり民主的な考え方とは相容れない部分があります。他者の存在や言論を否定する言論も言論の自由として成立するのか否か、ヘイト・スピーチ規制の分かれ目となります。その意味で3K新聞の言っていることはヘイト・スピーチに当てはまる程度に粗悪な言説ですが、少なくとも情報のソースは限定や規制がなされるべきではなく、幅広い情報を得るであろう受け手の判断に任せられるべきであり、憂慮すべきなのはそうした情報の質の判断が出来ない受け手の方であります。話を少し戻すと、日本でもそうした排除はわりとあって、裏金問題絡みで北海道新聞が警察に仕返しを食らったり、選挙で負けると公選法違反でバンバン捕まったりと、まぁ考えるところはたくさんあります。

タイトルの通り当初のタイトル、「刑罰の重さについて」という話に行き着く前にエネルギー切れ。次回に話を残しておきますが、ざっくばらんに内容的には1.刑確定前の拘置期間が長すぎ、2.近年の「被害者の人権」という議論が従来の人権の観念とはかなりずれててまずい、3.被害者の保護のあり方、4.スウェーデンの警察の無能さと日本の警察の無能さの違い、5.刑務所や刑に関する考察、などなど、それぞれ論文が書けそうな重たいネタなので、どのように笑って読めるようにするかちょっと頭を絞ります。

新聞Metroで紹介されていたYoutube特集で、わりと笑えたので転載、どちらも英語での話。



まぁ、少し先日していた話と重なります。

2009/05/04 10:46 タイトルおよび記事内容を若干修正

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